教室員の風景

2010年10月

滋賀医科大学産科学婦人科学講座(母子・女性診療科)の四方(よも)です。産婦人科医になってから早10数年が経過し、スーパーローテーターや新入局員の先生方とは一回りも違うということに気付いて時々ショックを受けています。そういえば白髪やしわも増えたし、物覚えが悪くなったなぁと思う今日このごろです。10年ほど前を振り返ってみると、大学で2年間の研修を終えて次の研修先を決める際に、野田前教授から「君は都会の方がいいか?それとも田舎でいいか?」と尋ねられ、「どっちでも構いません。」と答えたところ、茨城(茨木×)に赴任することとなりました。大阪出身の私は、最初、友部駅前の平べったい風景に衝撃を受けましたが、“住めば都”とはよく言ったもので、同僚・友人にも恵まれ、忙しいながらも楽しい2年間を過ごすことができました。その後、野戦病院のような八尾徳洲会総合病院(大阪)や野洲病院を経て、6年前に大学に戻り、救急・集中治療部での研修や病棟医長を経験させていただいて、現在に至ります。大学では主に産科を担当しており、病院の性質上、いろいろな問題を抱えた母体や胎児に直面して自分の無力さを痛感することも少なくないのですが、なんとかみなさんの役に立てるようにと頑張っています。

ここからは近況ですが、恥ずかしながらみなさまに披露できるような趣味や特技がないので、実家のことを報告したいと思います。今年4月に継母が急死して父がひとりになってしまったので、最近は週に1度大阪の実家に帰省しています。以前、八尾徳洲会で働いていたときは6kmしか離れていないにもかかわらず、仕事を理由にほとんど帰らなかったのですが、やればできるもんですねぇ。こちらの仕事が終わってから帰るので、実家に着くのは8時半か9時ごろになってしまい、70を超えた父はすでに寝てしまっていることも少なくないのですが、一生懸命ご飯を作ってくれています。味は微妙なときもありますが、このあいだは美味しい栗ご飯をいただきました(感謝、感謝)。
こんな私ですが、みなさまよろしくお願いします。