教室員の風景

2012年4月

今年で医師として12年目になる郭と申します。村上教授のご配慮により、2年数ヶ月、研究のために岡山県にある川崎医大に勉強に行かせていただき、この4月に再び母校の滋賀医大に戻って参りました。(写真は岡山で研究していたマクロファージの蛍光染色写真です。)いろいろあり、現在は岡山に引っ越した当時より大分やせて戻って来ました。5年前まで東京にいたときはマラソンを趣味にしておりましたが、現在の体重は2007年に第1回東京マラソンを5時間かかって完走したときと同じになってしまいました。ついでにまたマラソンを始めようかと考えているくらいです。
今までの先生の例にならい、自身の略歴を簡単に紹介させていただきます。私が研修医になった頃はスーパーローテートという制度はなく、医師になって2年目には大阪の寝屋川市にある一般病院に派遣され外来や当直などの一般診療をするようになりました。寝屋川市では救急車を受け入れる産婦人科の病院は一つしかなく、いろいろな意味で大変でしたがそこで現在の基礎が作られたと思います。その後東京の癌研有明病院に研修に行かせていただき、婦人科腫瘍の道に進み、腫瘍関連の専門医も取ることができました。その後滋賀医大に戻り、婦人科病棟医長をさせていただき、それを勤め終え臨床も一段落した頃、博士号を取得するための研究をさせていただきました。我々の教室では、要所要所で各個人の希望を聞いていただけ、きちんと成長する事ができるようにきめ細やかに配慮してくれます。若いうちに博士号をとりたければ3年目から大学院に行った先生もおり、私のように10年目に研究を始めた者もいます。周産期や腫瘍の専門医を取りたければ、しかるべき研修の道を用意してくれます。私の同期の入局は4人おりましたが、2人は産科、2人は婦人科で皆最前線でがんばっております。おそらく4人とも日本中の同じ年齢の産婦人科医と比べてもそれぞれの分野でトップ集団の一員として走っているのではないかと思います。また私は3-4年前に滋賀医大で病棟医長をしておりましたが、そのときに一緒に働いていた後期研修医の高橋先生や山中先生が今では滋賀医大で病棟の柱として働いているのを知り、彼らの成長の早さに感嘆すると共に、滋賀医大の研修システムのすばらしさも再認識しました。
「百聞は一見にしかず」ですので研修医の先生方、一度見学に来て下さい。こっそりと見学に来たければ、ホームページから私を名指ししてメール下されば、私がこっそりと案内いたします。
女医の先生も子育てしながら、きちんと保育園や幼稚園のお迎えの時間には間に合うようなシフトで働いています。私も仕事が終わった後や休みの日は3人の子供のパパをして仕事以上に汗をかいています。研修システムがしっかりしているだけでなく、みんな優しくておもしろい先生ばかり(特に教授と助教授のコンビは日本で随一 (;^◇^;)ゝ)ですよ!